今年から管理人は医学中央雑誌の編集委員にさせていただいた。先日、編集委員会に出席したので、その感想を含めて今後の展望やら要望に関してメモを残したいと思う。
編集委員会に出席して感じたことは、超有名な先生(医学書や医学雑誌をみると必ず名前が出ているようなすごい先生)からなる会であるということ。管理がサインをもらいたい先生がたくさんいるということだ。
さて、編集委員会はというと編集方針を担当する委員会らしい。この委員会が年に1回しか開かれない意見を求める委員会だとすると、編集委員会という名前がふさわしいかどうか。たぶん、昔は編集方針のみを決める委員会だったのだろう。今は編集方針だけでなく、どのようなデータベースを作るか、どのように使えばユーザーが便利になるかを考えなければならない時代になっているため、そのたぐいの方向性なども示される。名前を再考するか、別の委員会を創設する必要があるのではないだろうか。
今後の医学中央雑誌のあり方にも関わる問題であるが、せっかく入力している日本語文献データベースをどのように検索するかだけでなく、どのように解析するか、そしてそれから新たな使い道を生み出す必要があるのではないかということである。
私のお隣の席の先生とも意気投合したのだが、使い道の研究をする部門を創設したらどうだろうか。PubMedとは明らかに異なる性格のデータベースなので、同じ方向性でよいわけがない。日本語文献データベースがどのように使われるかをよく考える必要がある。また、どのような職種がどの様な使い方をしているか、何のために使っているかをよく分析して、それぞれの使い方に最適化した検索結果を(それとなく)提示することが必要であると思う。
データベースは抄録がすべてついていなくてもよいが、カバーする範囲は網羅的である必要がある。特に、日本語の場合、各施設や部署(学会の専門医や認定医のチェックでも必要かもしれない)の業績データベースとして使用可能なので、それらを網羅できる範囲が必要である。また、学会や企業が発行する医学雑誌(や看護学雑誌)で、採択されていない雑誌にたいして、向こうから採択をお願いされるような知名度に引き上げる必要がある。medlineやインパクトファクターのように、それに掲載されること自体がステータスになるようなデータベースを目指すべきだと思う。載せてあげるという態度ではなく、自然にお願いされるというニュアンスで。
知名度を上げるために宣伝することが大切なのは、言うまでもない。データベースの権利を売ること以外に、社会的に歴史があって(1903年:明治36年創刊)、日本語の医学文献をほぼ網羅している(しつつある)ものであることや、それから引き出されるものは役に立つ(ここを、どのような形で役に立つかを提案できることが大切)ということを宣伝する部門が必要なのではないだろうか。
現時点で気づいたことを、いろいろ書いてしまったが、どういった方向性で発展させるかということは、全ての組織において常に考えておくべきことであると思う。
医学中央雑誌がどのように変わっていくのをみるのが楽しみになってきた。
医学中央雑誌編集委員会出席後記
Visited 1 times, 1 visit(s) today