オトーリと小話

宮古島にはオトーリという酒を飲むときの風習がある。参加者で「親」となるものが口上を述べた後、隣の参加者に自分が飲み使用したのと同じ杯に酒を注ぐ、注がれたものはその杯を飲み干す(女性は、男性に代飲を頼めるが、男性は、原則飲み 干さなければいけない)。それが、一巡すると「親」の隣の参加者が、新しい「親」となり、同じように口上を述べたあと、隣の参加者へと杯が続いていく(Wikipedia宮古島より)。
オトーリをするには酒に強いことももちろんだが面白い口上も述べられる必要がある。いきなり、指名されて面白い話をするというのは、普段からのトレーニングが要求されるところだ。とくに、酔ってきてもそれができるとなると、かなりの実力をつけなければならない。この口上に似た状況が、セミナーや学会での司 会者の立場である。演者が準備がまだのとき、聴衆が退屈しないように、とっさのときの小話ができなければならない。オトーリとセミナーの司会者には、共通 点があるのだ。

宮古島のたべもの

宮古島でうまかったのは,宮古そば.沖縄本島のものより断然うまい.本島のものより麺が細くて、つゆもgood!! 2日目に引き続いて3日目も、宮古島から発つ前に、宮古空港で昼にも食べてしまったほど。自分の中では、山越(やまごえ)の讃岐うどんと同格に引き上げられた。
つぎに印象に残っているのは、”やしがに”。これはカニというより、巨大ヤドカリといった方がよいか?実物はすごく大きくてちょっとこわい。体長40-50cmはあるか?ヤドカリがからから出てきたもの?(Wikipediaの解説)ちょっと不思議。翌日、島内を移動したとき道端で車にひかれていたヤシガニを目撃してしまった。
もう一つ、宮古島に来る飛行機の中でにわか勉強したガイドブックでみて目を付けていたのだが、これはとうとう食べることも、持って帰ることもできなかった。写真に撮ったので紹介しておく。渦巻きパンなる食べ物である。買って帰ればよかったと後悔している。しかくパンも名物らしい。これは、次回以降、いずれ宮古島でサマーセミナーが開かれるときの楽しみに取っておこう。

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下地島空港

サマーセミナーでは,オフタイムの使い方もまた楽しみである.今回は,宮古島の西に 浮かぶ下地島に行くことにした.実は,この島,国内で唯一民間航空機の離発着訓練を行っていることで航空ファンには有名な島であるが,昨年の第2回麻酔科 学サマーセミナーで講演したある麻酔科医がプレゼンの最初に下地島空港の写真を出したこともあって,是非,訪れたいと思っていた.そこで,6月23日,セ ミナーが始まるまでの時間を利用して下地島に渡り,訓練を見学して写真を撮ってきた.
本当に訓練を行っているかどうかが気がかりだったが(一応,訓練スケジュールは確認していた),島に渡るフェリー乗り場から低空旋回している飛行機が見え たので不安は解消された.下地島空港の撮影スポットには航空機オタクと思しき人たちがすでに写真を撮っていた.中には,脚立を持参した人も.1時間あま り,何カ所か場所をかえて touch and go を繰り返す飛行機を撮影した.最終日のプレゼンの際にデスクトップ壁紙として紹介したのはこの1枚.
青い空と海のコントラストが美しく,そこに着陸態勢のB767.自分でも結構上手く撮れたと気に入っている.shimojijima1

宮古そばをかっ食らう麻酔科医

第3回麻酔科サマーセミナーの2日目(6月24日)に、インギャーという場所でシュノーケリングを楽しみました。
その後、宮古そばを食べに行きました。そのメンバーは、旭川医大、東京警察病院、国立循環器病センター、神奈川こども病院、県立広島病院、阪大、金沢大学、東海大学そして琉球大学の麻酔科医でした。よっぽど空腹であったのか、カメラを意識することも無くそばをかっ食らっています。このように施設の壁を越 えた時間を共有できるのも、サマーセミナーの特徴ではないでしょうか?

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第3回ベストプレゼンテーション賞

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第3回麻酔科学サマーセミナーのポスター演題で、優秀なポスターに与えられるのが、ベストプレゼンテーション賞です。これまでは最優秀のポスターにしか賞を出していませんでしたが、今年から第3位までのポスターに賞状と賞品を授与することになりました。

◆2006年ベストプレゼンテーション賞
(第3回麻酔科学サマーセミナー)
第1位 黒澤 温(旭川医科大学)
デクスメデトミジン投与で行った先天性心疾患患者の心臓カテーテル検査の鎮静経験
第2位 長島道生(旭川医科大学)
デクスメデトミジンを用いた意識下挿管の経験
第3位 笹川智貴(東京女子医科大学/旭川医科大学)
PSP(プレイステーションポータブル)を用いたTEE 動画ポスタープレゼンテーションの可能性

以上、3名の先生方、おめでとうございました。
右の写真は授賞式と講評の様子です。
ベストプレゼンテーション賞は再選を妨げませんので、一度受賞した方々も何度でも挑戦してください。

デスクトップ壁紙対決

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今回のセミナーでは、演者がPCのデスクトップの壁紙を自慢するシーンが目立った。 宮古島に入ってから撮影したと思われる写真をデスクトップに貼り付け、講演の前にさりげなく自慢する。日常では撮れないような美しい写真であったり、とても珍しい風景(光景)だったりする。サマーセミナーがアットホームな雰囲気で進行していることもあって、とくにそれが気に障るようなことはない。聴衆もその撮影に関する話を、興味を持って聞いているように見受けられる。今後、この壁紙対決は恒例になるのではないかと思われる。もしかすると、このブログを見て他の学会やセミナーでもマネをする演者が出るのではないだろうか。

宮古島後記

東京に戻って来たのは日曜日の夜だった.久振りに東京に帰る日を延ばしたいと思ったのだったがその所以は宮古島,あるいは宮古島で過ごした時間の質だったので今は既に東京の時間が流れているのでも宮古島の時間を経た自身がいる.セミナーは朝と夕方にプログラムが組まれていて日中は自由時間である.何もせずにホテルの部屋で過ごすのも得難い贅沢だったが初めて訪れた宮古島を独りで巡ってみることにした.ホテルに付けていたタクシーに乗り込んでガイドブックに掲載されていた東平安名崎を目的地として告げる.屈強な肉體に彫りの深い目鼻立ちの運転手が大きく頷いた.どうやら全うな,と言うか凡庸な景勝地を選択したらしかった.彼は東平安名崎がトライアスロンの起点であることを語った.この平坦に見えて山と呼べるようなものはない土地も実際には起伏に富んでいて最後のフルマラソンは鉄人の心臓でも容易には立ち向かえないのだという.一面のサトウキビ畑が拡がる風景を眺めてその収穫に要する人手を想起した.川と呼べるものはなくても地下にダムが築かれていると聞いてサトウキビも実は相当に水を必要とする植物であると知る.互いに饒舌な方ではなくても次第に彼に親しみを覚えてその静かな語り口にこの島で生まれ育った人間の素直さと力強さが反映されているように思えた.岬に向かう道の途中までしか車が入れなくて運転手は待っていると言った.そう頼んだ訳ではなかったがタクシーが何処かに列をなして並んでいるのではなくて彼を帰してしまうと帰路の足がなくなるのは自明だったのに加えて彼の方でも目的地を告げた瞬間から旅の終わりまで付き合う心積もりなのに違いなかった.それでこちらも安心して彼にこの地での時間を委ねることができたのだった.東平安名崎の海は澄み切っていた.大潮でいつになく潮が退いていてこの時を狙って地元の人は海で獲物を漁るのだそうで確かに何人かの人間がリーフに降り立っていた.岬の右手は太平洋,左手は東シナ海なのでも海の色に変化がある訳でもなくて考えてみればそれは人間が命名しただけのことで海の知ったことではない.眼の前の海は青かった.沖縄本島では沖合いのリーフの切れ目で白波が立っていてその向こうから深い海が拡がっているのに対してエメラルドグリーンの人間に親しい海はここにはなくて大海が眼前に迫っているのだった.

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照り付ける陽光を浴びて春にはテッポウユリが咲き乱れるという道を岬の突端にある灯台に向かい勧められた通り昇ってみることにした.エレベータなどなくて97段の螺旋階段を一段一段踏み締めて昇るのである.そして灯台の上から見回すと360度の水平線である.少しばかり空に近付いた気がしてそれでも海は眼下に拡がりその先は遥か彼方で空と接していた.携帯のカメラのシャッター音を何度も鳴らしていた人物が急に何もないですねと語りかけて来た.曖昧な表情を返して視線を逸らせる.逆にここには全てがあると思えて海と空,太陽と島,そして自身がそこに立っていることを意識したときに何かが足りないという思いは浮かんで来なかった.再びクーラーの効いた車内に乗り込み池間大橋を目指した.海岸線を走る間も運転手は訥々と語りかけて来る.海のこと,島のこと,サトウキビのこと,地下のダムのこと,トライアスロンのこと,酒のこと,土産物のこと,生活のこと,そしてこちらの職業を訊いた上で島の医療事情にも話が及ぶ.一体に絶え間なく話しかけられるのは苦手なのでも車内でそうは思わなかったので武骨で野太い声が音楽のように聴こえた.池間大橋の途中で車を降りて下の海を覗き込んだその浅瀬の海も透明だった.大神島が近くに見えた.橋を渡ったところで高台から周囲を瞰むとここでも空と海の間に自身がいた.平良市内に向かって行く途中でマングローブの林に寄ってくれた.車を降りると潮が退いた砂地に無数の孔が開いているのがわかって目を凝らすと夥しい数の小さな蟹が砂地を這っている.大学を留年したときに環境アセスメントの仕事を手伝っていたことがあって夏と冬に2週間ずつ沖縄に滞在した経験があった.そのときに昼間は静かな知念の海が夜には様相を一変させて実に多種多様の生物が闇のリーフを動き回っていることを知ったのでリーフから聴こえて来る命の騒めきの記憶が甦った.陸では生物は2次元に存在するのでも海では比較にならない程の量の命が3次元の世界に密生している.蠢く蟹は四半世紀前の記憶を呼び覚まして砂の上を這う音が聞こえてくるように感じられたのだった.運転手も今やこちらに親しみを抱いているようで話が東京に及んだ折に彼は東京には太陽の眩しさっていうものがないでしょと言った.恐らく彼は上京した際に自身の生地にあって東京にないものを生きてゆくために必要なものの欠如と感じたのだった.灯台で出会った人物は何もないと思ったのでもここには人間に必要なものは全て揃っていてその質と量の豊かさが旅人を圧倒する.都会と呼ばれる街で苦労して手に入れるもの,自分のための時間や豊かな生活,そして何よりも生きてゆく上で必要な太陽と水と空気と土その他一切がここに暮らす人間を満たしていた.彼とは市場の前で別れた.3時間余りの短い時間だったが海と空との間で島をほぼ半周するうちにこの地で暮らす人間に触れることができて宮古島が親しく感じられることになった.彼は太陽を浴びて眩しく輝いていたのだった.